竹下和男氏を知ってるかい?
2013年 02月 13日
どうも、どうも。ヨシノです
敏腕課長は今日から人間ドック。
今月に入ってしきりに体重を気にしてらっしゃいましたが、
どうだったでしょうか
人間ドック受けるにも体力がいるもんで。
終わった後は、精根尽き果てて、パッサパサのカラカラになる
課長、お疲れさまです。
さてさて。
題名にもあるとおり、みなさんは竹下和男氏を知ってますか?
機会あって、竹下先生の講演を聞き、
ものすげー、もんのすげー衝撃を受けました
冒頭から、
「朝食がパン食の女性は乳がんになりやすいです」と。
(その時見た、ピチピチ(朝はパン)のガーンという顔が忘れられません・・・)
2人に1人ががんになる今、生き残るためには地元の郷土料理を食べろ、という。
その地で昔から食べられている、その地の食材を使った料理。
(これ聞いて、母のかけあい(かけ和え?)とお義母さんのぬっぺ汁が食べたくなった!)
※図はイメージ。 「かけあえ」も「ぬっぺ」も、大人になっておいしいと感じるようになりました・・・
食の欧米化が進み、その変化に私たちの体が対応しきれていない。
⇒その結果、がんができてしまう。
先生はそう話し、あるショートフィルムを流されました。
『はなちゃんのみそ汁』。
福岡市の安武千恵さん。結婚し、妊娠。しかし妊娠と同時に乳がんも発覚。
彼女は食事療法(玄米食)をしながら出産、子育て。
一時はがん細胞が消えそうというとこまできたが、結局再発、転移。
医者からの宣告、余命5ヶ月。
その時千恵さんは、「私がいなくなったら、この子(はなちゃん)はちゃんと自分でごはんが作れるだろうか」と思ったそうだ。そしてはなちゃんが5歳になった次の日から、料理の仕方を教え始める。
お米のとぎ方、食材の切り方、かつおぶしの削り方、ダシのとり方、味噌のこし方・・・。
その5か月後、千恵さん逝去(享年33歳)。
それからはなちゃんは、お母さんとの約束どおり毎朝かつおぶしを削り、みそ汁を作っているという。お父さんが夜仕事で遅いときには、『はなちゃんがつくったよ』と手紙をつけて夕飯のおかずも作ってくれるのだそうです。
そんなはなちゃんも小学2年生。
愛くるしいはなちゃんの笑顔でしめられたショートフィルム。
決して、涙と鼻水なしでは見れない
そして、自分を千恵さんの立場に置き換えて考えてしまう。
わたしは幼少期を思い出すときは必ず、家族で食卓を囲む風景を思い出す。
両親がいて、わたし、妹、弟。母が作るご飯を楽しそうに食べ、みんなで笑っている、そんな風景。
わたしは母から幸せな食育を受けていたのだと思っていたけど、大きなものがひとつ、足りなかった。
それは、料理力。
結婚して、料理ができない自分にあぜんとした。
そして子どもが生まれ、今度は食べさせる側になってしまった。
必要に駆られ、少しずつやるようにはなったが、「よい食育か?」と言われると、
声を特大にして「NO!」だ。
我が子には料理に興味を持ってほしいと思う。
食材を選ぶ力、そしてそれをおいしく調理する力。
ぜひ、持ってほしい。
料理力のないわたしがどうやって子どもたちにそれを教えればいいのか・・・
竹下先生の話にヒントがありました
長くなりそうなので、続きはまた今度。
では、またね。
にほんブログ村
本が出てるよ。
千恵さんのブログ
『早寝早起き玄米生活』(今はご主人が書かれています)も読んでみて~
敏腕課長は今日から人間ドック。
今月に入ってしきりに体重を気にしてらっしゃいましたが、
どうだったでしょうか
人間ドック受けるにも体力がいるもんで。
終わった後は、精根尽き果てて、パッサパサのカラカラになる
課長、お疲れさまです。
さてさて。
題名にもあるとおり、みなさんは竹下和男氏を知ってますか?
機会あって、竹下先生の講演を聞き、
ものすげー、もんのすげー衝撃を受けました
冒頭から、
「朝食がパン食の女性は乳がんになりやすいです」と。
(その時見た、ピチピチ(朝はパン)のガーンという顔が忘れられません・・・)
2人に1人ががんになる今、生き残るためには地元の郷土料理を食べろ、という。
その地で昔から食べられている、その地の食材を使った料理。
(これ聞いて、母のかけあい(かけ和え?)とお義母さんのぬっぺ汁が食べたくなった!)
※図はイメージ。 「かけあえ」も「ぬっぺ」も、大人になっておいしいと感じるようになりました・・・
食の欧米化が進み、その変化に私たちの体が対応しきれていない。
⇒その結果、がんができてしまう。
先生はそう話し、あるショートフィルムを流されました。
『はなちゃんのみそ汁』。
福岡市の安武千恵さん。結婚し、妊娠。しかし妊娠と同時に乳がんも発覚。
彼女は食事療法(玄米食)をしながら出産、子育て。
一時はがん細胞が消えそうというとこまできたが、結局再発、転移。
医者からの宣告、余命5ヶ月。
その時千恵さんは、「私がいなくなったら、この子(はなちゃん)はちゃんと自分でごはんが作れるだろうか」と思ったそうだ。そしてはなちゃんが5歳になった次の日から、料理の仕方を教え始める。
お米のとぎ方、食材の切り方、かつおぶしの削り方、ダシのとり方、味噌のこし方・・・。
その5か月後、千恵さん逝去(享年33歳)。
それからはなちゃんは、お母さんとの約束どおり毎朝かつおぶしを削り、みそ汁を作っているという。お父さんが夜仕事で遅いときには、『はなちゃんがつくったよ』と手紙をつけて夕飯のおかずも作ってくれるのだそうです。
そんなはなちゃんも小学2年生。
愛くるしいはなちゃんの笑顔でしめられたショートフィルム。
決して、涙と鼻水なしでは見れない
そして、自分を千恵さんの立場に置き換えて考えてしまう。
わたしは幼少期を思い出すときは必ず、家族で食卓を囲む風景を思い出す。
両親がいて、わたし、妹、弟。母が作るご飯を楽しそうに食べ、みんなで笑っている、そんな風景。
わたしは母から幸せな食育を受けていたのだと思っていたけど、大きなものがひとつ、足りなかった。
それは、料理力。
結婚して、料理ができない自分にあぜんとした。
そして子どもが生まれ、今度は食べさせる側になってしまった。
必要に駆られ、少しずつやるようにはなったが、「よい食育か?」と言われると、
声を特大にして「NO!」だ。
我が子には料理に興味を持ってほしいと思う。
食材を選ぶ力、そしてそれをおいしく調理する力。
ぜひ、持ってほしい。
料理力のないわたしがどうやって子どもたちにそれを教えればいいのか・・・
竹下先生の話にヒントがありました
長くなりそうなので、続きはまた今度。
では、またね。
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本が出てるよ。
千恵さんのブログ
『早寝早起き玄米生活』(今はご主人が書かれています)も読んでみて~
by takeo-syokuiku
| 2013-02-13 14:44
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